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神様の御手に使われる喜び

こんにちは。カズヤです。
今日も書きたいと思います。

今日も素晴らしい日曜日でした。
昨日と今日は、私の住んでいる地域の、教会の地方単位の大会があって、
千葉県の松戸にある教会に行って来ました。
地理的には一つの県ぐらいの大きさのある単位での大会で、たくさんの人が来ていました。

そこでイエス様の福音について、いろいろなお話を聴きました。
心に残った話の一つは、或る女性の教会員の方の話してくれた話で、
福音を他の人に伝えることについての話でした。

その人は、自分が他の人に福音を伝えることに、複雑な気持ちを感じていたそうです。
というのも、その人は、自分自身は素晴らしい人間でもないし、
そんな自分が福音を伝えることが出来るのだろうか、と思っていたのでした。
むしろ、自分のような者が福音を伝えたら、逆効果なのではないかとさえ思っていたのでした。
でも、実際には、そんな心配は要らなかったんです。
その人は、一生懸命、福音を伝えるために頑張りました。
そして、イエス様のもとに来るように、そしてイエス様の教会に来るように、他の人を助けたんです。
(私の記憶が正しければ、そういうお話でした。)

私は疲れていたこともあって、その人の話の一部始終を正確に聞き取ることはできませんでした。
でも、聞いたことを思い出しながら、心の中にはっきりと感じる神様の思いがあります。
私たちがたとえ不完全だとしても、一生懸命神様と人のために働くときに、
神様とイエス・キリストは私たちを使ってくださって、
誰かが救われる特別な働きのために、私たちを使ってくださるのです。

神様とイエス様の御手に使われることは、どれほど素晴らしいことでしょうか。
どれほど素晴らしい喜びを感じるでしょうか。

私は今自分の心に感じている気持ちを、十分に書いてお伝えすることができません。
でも、神様とイエス様の御手に使われることは、私たち末日聖徒にとって、
言葉に表現できないほどの気持ち、喜びなのです。

宣教師として働くときや、教会での役目を果たすときや、
家庭で父親や母親としての役割を果たすとき、
そのほか神様の望んでいらっしゃることを一生懸命に果たそうとするとき、
もう無理だというくらい大変なことや難しい時期もあるけれど、
神様とイエス様の御手に使われているのだと感じるときに、
表現できないほどの喜びを感じるのです。

「喜びはたとえようもなく、胸にあふれるほどであった。
まことに・・・力が尽きてしまうほどに神の喜びにのまれてしまった。」
(『モルモン書』アルマ書27章17節より)

この喜びを、みなさんにも感じてもらうことができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。

神様にお仕えすることは本当に素晴らしいことです。
ほかのどんなことよりも素晴らしいことです。
そして、神様と人のために一生懸命働くときに、
イエス・キリストの贖いが、私と相手の人を一緒に、神様のもとに引き上げてくれるのです。

書いているうちに、時計は夜の12時を回ってしまいました。(もう眠らないと・・・(汗))
今日は本当に素晴らしい一日でした。
明日から頑張るためのパワーをたくさん頂きました。
明日からの仕事をまた頑張ります。
明日からの一週間が、また楽しみです。

神様とイエス様と一緒に、明日からまた頑張れますように。

私は、神様とイエス様が確かに天にいらっしゃることを知っています。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、神様とイエス様が回復してくださった
イエス・キリストの真実の教会です。
福音は回復されました。
人の救いと幸せ・喜びに必要なすべてを、神様とイエス様は教えてくださるのです。

そのことを、イエス・キリストの御名によって、心からお伝えします。
アーメン。



「あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし、
一人でもわたしのもとに導くならば、わたしの父の王国で彼とともに受ける
あなたがたの喜びはいかに大きいことか。」(『教義と聖約』18章15節)


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